ペットロスは愛した者たちが通る道

道1

愛犬や愛猫などの最愛のペットを喪っても、人を喪ったときと同じように理解してくれる人が側にいてくれる人は幸せです。多くの人が理解してもらえない人に出会うように、ペットロスというものが認知されているほど、社会はペットブームに反して成熟してはおりません。


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人間関係のうつ病と、ペット関係のうつ病

最愛のペットを喪い、悲しみでいっぱいのとき、「たかが犬・猫を亡くしたくらいで」「また飼えばいいじゃない」というように、家族同然の愛犬や愛猫に対して価値の低いものとして見られたり、代わりがあるように思われたりして苦しむ飼い主さんもいらっしゃいます。

人間の子供が亡くなって、その両親に対して、「たかが子供のことくらいで」「また子供を産めばいいじゃない」などというようなことを言う人はいません。

どちらも同じく代わりのいない、かけがえのない存在であり、大切な命なのですが、それがペットとなると悲しみが理解されないことがよくあります。

人の葬儀、供養となると会社を休んでも慶弔扱いとなり、周囲の人たちからも慰めの言葉をかけられたりするのに対して、ペットの葬儀、供養となると同じことをしているのに奇特なことを思われたり、軽く扱われたりしてしまうことがあります。

さらに、人間関係でうつ病になるのは受け入れられても、ペット関係でうつ病にを患うことは異常であるかのように見られたりすることもあります。

これらすべては、対象が人間であるかないか、大きいか小さいか、というような違いや比較で差別されてしまっています。心に想いを抱いているのは同じ人なのに、扱われ方がこうも違ってしまうのです。

このようにわかってくれているようで理解されておらず、表面的にはわかってもらえても経験しなければ理解できないこともあり、ペットロスの悲しみを十分に理解されているとはいえません。

ペットロスは特殊な人がなるものではない

ペットロスはおかしなことでも、特殊な人がなるものでもありません。むしろ温かい愛情のある心の持ち主である人がなるもので、ペットを人と同じように差別することなく愛した飼い主さんたちが通る道だといえます。

愛情や悲しみを抱くことに違いなどないのです。見た目の違いに囚われがちな人間が多いことが、この世で悲しくも耐え難い結果が生まれるのでしょう。

ですので、見た目の違いを越えて同じく愛せた人たちは、より豊かな人生を歩んでいるのです。豊かな人生を歩んできたからこそ、人知れない大きな悲しやくるしみがあるものです。

この大きな悲しみの表れとして、「親がが亡くなったときより辛かった、悲しかった」という方もいらっしゃるのです。

これは、人だから、動物だからということではなく、その人や、その動物との関係性が違いますのでそのような気持ちを抱くこともあるのです。

なぜなら、人の葬儀でも親を見送るのは順当で、ある程度諦めもつきますが、幼い我が子を喪うことは親にとって一番辛い別れであるように、愛犬や愛猫のことも「うちの子」と子供のように可愛がっていた飼い主さんにとっては、姿は違えど同じような関係になっているのです。

愛犬や愛猫などのペットが亡くなっても我が子を亡くす親の気持ちと同じような心情があるのですから、親を亡くすよりも悲しみが大きく感じられることもあるということです。

また、人の場合は葬送・供養の儀がありますので、多くの人たちと悲しみを分かち合うことができるので、一人で悲しみや苦しみを背負うという心理的な負担は軽減されます。

しかし、ペットの場合は悲しみを分かち合う相手が少ないため、その分の心理的な負担が大きくなります。

さたに大きな違いがあります。それは言葉です。人間とペットとは五語体形が異なりますので、もの言わないだけに悲しみが深いことが伺えます。

 


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